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管理者プロフィール

初めまして!!

SATORUです。
本日はWEBサイトにお越しくださり
ありがとうございます。

私はド田舎で、私と妻とスタッフ1名の合計3人で美容サロンを経営しています。

※人口1万9000人、2050年消滅危険自治体です。

今では経営者の私も、4年前まではどこにでもいる自動車メーカーの営業でした。

え?営業から未経験で美容サロン・・・?
私自身もこんな人にまだ出会ったことありません。笑

そんな私の目標は

webマーケティングを1年間学んで
サロン以外で在宅月30万円の安定収入を作ることです!

なぜ在宅月30万円にこだわるのか?

それは将来、サロンを辞めて地方へ移住して
大自然豊かな場所で、半自給自足の生活
ができる選択肢を増やしたいからです。

いやいや、もうド田舎にいるじゃんって思ったあなた!!

よく見ていますね。笑

私は生まれ育った土地ではなく
新しい場所で生活することに憧れています。

未知の経験こそが人生を豊かにしてくれることを知っているからです。

もし在宅で月30万円の安定収入があれば
奥さんが空き時間にパートをして

合計40万円ほどで十分に生活していける。

大自然の中、近くに自分たちの畑があり
安全な野菜を作り食べる

余れば近くの人たちと分け合う。

なんて豊かで、幸せなのでしょうか・・・

そこにお金が一番という価値観はありません。

この生活こそが疲弊している現代人が、お金と時間から解放され幸せに生きる
もう一つの選択肢になることでしょう。

基本情報

名前 SATORU
年齢 34歳
性別 男
趣味 読書 料理 サーフィン
好きな言葉 捨てるは革命の一歩なり
前職 自動車メーカー営業

幼少期〜専門学校:後悔、親に敷かれたレールを歩く

私は京都府のド田舎
ごく普通の家庭に生まれました。

小さい頃は大自然豊かな町で

川遊びや森に入って秘密基地を作って遊び

暗くなっても家に帰らず
両親を心配させることもよくありました。

小学校の時は勉強嫌いで
成績は下の中くらい

忘れ物が多く
先生に怒られて泣いていました。

しかし運動は大好き!!
その小学校の歴代1年生50メートル走の最高記録を持っています。笑

中学校時代は
付き合う友人が変わり少しやんちゃに

兄の影響で近くにバイクがあり、風を切る気持ちよさに目覚めます。

高校は

バイク通学のできる高校に

通おうと思っていたのですが、

両親に小学校3年生からしていた

野球を高校でも続けて欲しいと

お願いされ家から近い高校に進学しました。

野球をするために入った高校なのですが
一年生の時に燃え尽きてしまいました。

辞めたいと相談しますが、期待されていたこともあり
絶対にダメだと許してくれませんでした・・

の時から、自分の人生を生きていなかったと後悔しています

結局、高校3年間しっかり続けて
私の野球人生は終わりました。

野球部を引退後はおしゃれに興味を持ち

ファッションにお金をかけたり、髪の毛を伸ばし始めました。

とても気分が上がったのを覚えています。

そして進路を決める大事は時期に

私は美容師になりたいと両親に相談しました。

父も母も大反対。
当時、美容師のイメージが良くなかったようです。

その頃の私にとって両親はなんでも知ってるスーパーマンでした。

美容師ダメなのか・・・。

私は両親の期待に応えようと諦め
違う道を模索しました

話し合った結果、バイクが好きだったこともあり

某メーカーの自動車整備士の専門学校に入学することになりました。

専門学校に入学して1ヶ月が経ったころ

ある日の授業中に違和感を覚えました。

どうやら周りの人たちは
車やバイクを分解して整備して、組み上げることが好きだったり
レースに出て速さを競うのが好きだと言っていました。

私はただ乗るのが好きというだけで
この道を選んでしまったのです・・・。

授業も友達が話している内容も楽しくありませんでした。

美容学校に通っていた友人と話をしている方が楽しくて
学校を辞めたくなりました。

しかし高額な入学金や授業料を払ってくれている両親を
悲しませたくなかったので、辞めることが出来ませんでした。

調べてみると国家資格に合格して、系列店に入社できれば

給料はそこそこ良く安定していて、ボーナスもしっかりとあって

年間休日が120日あるような良い環境に身を置けることが分かったので

もうこの業界で生きていこうと決めました。

この時、私の中で大切なものがお金に傾いた瞬間だったと思います。

それから2年間、勉強をして無事に国家資格に合格

リーマンショックの影響で就職氷河期だったのですが

希望していた市内の系列店、倍率10倍を見事通り

自動車整備士として就職しました。

20歳〜28歳:人生を変えてくれた病気、支えてくれた彼女(妻)

私には19歳から付き合っている彼女がいました。

私生活では彼女と遊びにかけたり

友人とご飯に行ったり充実していましたが

仕事は本当に楽しくありませんでした。

何より配属先の上司とそりが合わず、毎日しんどかったです。

納得いかないことがあると食ってかかる性格も相まって、とことんやられました。

21歳の時、普通に生活はできるけど何か違和感がある・・・

だんだんと体がおかしくなっていきました。

一度病院に行きますが、適切な検査がされず原因不明。

さらに体は悪化していきます・・・

電車の中で自分だけ滝汗

合併症で目が出て顔が変わる

お腹が減って1日6食も食べているのに体重が10キロ減る

常にイライラして周りに当たる

メンタルもボロボロ

苦しくて、受け入れられなくて、訳が分からなくて、悩んで毎日泣いていました。

そんな私を彼女はいつも大丈夫だよ、心配ないよっていつも包み込んでくれました。

あの時、そばにいてくれなかったら、どうなっていたか本当に想像もできません。

最終的に朝起きて、ベッドから起きようとするのですが下半身に感覚がありません。

力が全く入らない状態でした。

ベットの中でGoogleの検索ボックスに

『下半身力入らない 汗かく 疲れやすい 体重減る』

検索すると一番上にある専門病院の記事が出てきました。

その記事には甲状腺機能亢進症(バセドウ病)と書かれており
体に現れる症状の8割が一致していていました。

間違いなくこの病気だ・・・

お昼になって下半身に感覚が戻り
近くの病院に電話してバセドウ病の検査を依頼。

血液検査とエコーをすることに。

血液検査の結果を見て、先生が驚いていました。

SATORUさん、私こんな数字初めて見ました。かなり悪い状態です。

※血液検査で測れる数値を振り切っていたらしい

そして、その日からすぐに投薬治療が始まりました。

担当の先生はいつも

バセドウ病はメガネみたいに身につけている感覚で
ゆっくり付き合っていきましょう。

そう言っていました。
この考え方が私には合わなかった。

イマイチ変化を感じられないまま
だんだんと薬を飲むことが面倒になっていきました。

病院に行っても、様子を見ましょう
お薬出しておきますねー。

いつも同じことの繰り返し。

そして薬も飲めたり飲めなかったりの停滞期間が2年も続きました。

病気としっかり向き合うことをやめて
なんとなく過ごしていたある日

運命の先生に出会います!!

薬がなくなりそうだったので
病院に連絡して、とりあえず薬を出して欲しいと相談しました。

今回だけ特別に専門外の外科の若い先生に
薬だけ出してもらうことになりました。

診察室に入ってすぐ、とんでもない剣幕で怒られる。

おい!!君はどんなつもりで病気と向き合っているんだ!!

血液検査見させてもらったけど、かなり悪いじゃないか!!

こんなの専門外でも分かるぞ、いい加減にしろ!!!

本当にびっくりして言葉が出ませんでした。

※おそらく私のカルテにちゃんと病院に通ってないと書かれていたのでしょう

しかし、この先生は私のために真剣に向き合ってくれていると一瞬で分かりました。

君は変わらないといけない!!

専門病院に転院するか、転職するか
どちらかを僕といま約束をしてくれ!!

真剣にぶつかって来てくれた先生の優しさが
嬉しくて自然と涙がこぼれました。

私はこの病院の治療方針に違和感を感じていたので
専門病院に転院を選択しました。

よし!!

じゃあこの診察が終わったらすぐに専門病院に予約を入れるんだよ。

さっきまでの険しい顔が嘘みたいにニコッと笑った先生に
肩をポンっと叩かれ診察室を後にしました。

優しさに殴られたような不思議な感覚でした。
初対面の方に、ここまで感情を動かされた経験はこの一回きりです。

おそらくこの先生に出会っていなければ
私の人生は全く違うものになっていたでしょう。

そして、遠方の専門病院に転院。

検査をした結果、状態が悪く投薬で治すことは難しそう
手術をオススメすると言われました。

しかし薬をしっかり飲めていなかったので
まずはしっかり飲んで様子を見ることに。

この病院は海外からも患者さんが集まる病院で
かなり忙しく、血液検査〜診察までで
待ち時間が毎回3時間以上ありました。

待合室でぼーっとしてた時、病院の先生に言われた

君は変わらないといけない
という言葉がフラッシュバックしました。

人が変わるってなんだろう?どうやって人って変わるんだ・・・
Googleで検索した私は一冊の本をKindleで購入しました。

ここから私の読書人生がスタートします。

ハイペースで読書をするようになり
気がつけば大量の本が本棚に・・・笑

たくさんの起業家や経営者の価値観に触れて
いつしか起業をしてみたいと思うようになりました。

そしてNewsPicksに出会います。

※このメディアは本を書かれているような起業家と専門家が討論会をしたり
経済ニュースをいろんな視点からまとめたり、企画コンテンツを配信しています。

ある企画にメガネ屋さんのオンデーズ田中修二さんが出演されていて
その中で言っていた言葉が刺さりました。

人はいきなり大きな決断をすることはできない。
まず小さな変化を毎日繰り返し、その変化に慣れていけば
いずれ大きな決断をできるようになる。

しかも起こすべき小さな変化は
日常生活の何気ないことで、いつもの自分なら選択しないこと
例えば、朝アイスクリームを食べる、毎日違う道で通勤する、絶対に食べないお菓子を選ぶ、など誰にでも出来ることでいいのです。

これは人が変わるために必要だと確信
自分でも出来る!!その日からすぐに取り入れました。

小さな変化を起こし続けていたある日
まず私に出来そうな少し大きめの変化はなんだろう?と考えました。

それは社内で転職するジョブローテーションだと思いついたのです。

翌日、店長に整備士から営業になりたいと申し出ました。
しかし現実はそう甘くありません・・・

一店舗あたりの営業の人数は決まっていて
いま必要な拠点はないとのことでした。

時は流れて
ある日の夕方に店長に2階へ呼ばれました。

あ!もしかして営業空いた?このパターンはそうだよね?

話を聞くと、どうやら営業ではなく
私の地元に近い拠点で、整備士の欠員が出て困っていたようで

そのエリアの従業員で転勤になってもいい人を探していたようです・・・
ことごとく全員に断られて、最終的に私に回ってきたのでした。

どう考えたって、あんな田舎に帰りたいやつなんているわけないじゃん!!
絶対ないわー笑

ん?ちょっと待てよ・・・

変化を選択できる人間は
さらに大きな決断をできるようになるのか?

私は変化を選択した先に何が待っているのか
強烈に知りたくなりました。

家に帰って彼女に相談すると
一緒に帰っていいよと意外にも前向きでした。

店長に転勤になってもいいと伝え
翌月から地元店舗に転勤が決定。

この辺りから
人生が動くスピードがどんどん早くなっていきました。

引っ越しを済ませて
まずはお互い実家に戻り生活をすることに

そしてある日
彼女から提案がありました。

彼女は美容師を経験後
マツエクサロンに6年勤務、店長をしていました。

また雇用されるくらいなら、自宅でサロンやりたいから家建てよ!!

しかし私は両親たちが家を建てて
住宅ローンの返済に追われていたのを知っていたので大反対しました。

中古物件をリノベーションする案やテナントを借りて店舗を構える案を出しましたが
新築に住みたい妻は聞く耳を持ちませんでした。

妻は絶対成功するから大丈夫の一点張り
その自信がどこから来るのか、説明は全くありませんでした。笑

そしてその1ヶ月後には新築の契約をしていました・・・。

私は家を建てて、妻のサロンを応援すると決めた時に
起業するという夢を諦め、今の会社に定年退職までしがみつき
老後は年金生活をするんだと心に誓ったのを覚えています。

妻のサロンはオープンして半年も経たないうちに軌道に乗っていきました。

1年経った頃には
人気サロンとして予約の取りにくいサロンにまで成長しました。

私は一番近くで
身近な人間が成功していく姿を目にすることになったのです。

楽しそうでキラキラしている妻を見ていると
定年退職まで会社にしがみつき
老後は年金生活という誓いはどこかに吹き飛んで行きました。笑

やっぱり起業したい!!!!

しかし、私には1人でお金を生み出すスキルや経験がありませんでした。

その時の私は漠然と
人生後悔したくない!!起業カッコいい!!誰にも縛られない感じがいい!!
ただそんな感情を持っているだけで

絶対にこれがしたい!!こんなものを世の中に届けたい!!
そんな思いはありませんでした。

それからはとにかく行動だと思い
週休2日のうちの1日を自己学習に充てます。

カフェに朝10時から夕方の6時まで居座り
本を読んでノートにアウトプットしたり
やりたいビジネスを探したり、動画を見て学習したり
とにかくたくさん動きました。

さらに変化を求めた私は
ついにバセドウ病の手術に踏み切ります。

その手術は簡単なものではなく
全身麻酔をして首を10センチほど切り開いて
甲状腺というとても重要な臓器を全て摘出するという手術でした。
それなりのリスクと副作用が付きまといます。

日程が決まり、そのことを想像するで体がガタガタ震えて
怖くて怖くて眠れませんでした。

オペ前日の夜も震えて眠れなかったのを覚えています。

手術は成功!!懸念していたリスクも全て回避!!
リハビリ期間を経て、どんどん元気になっていきました。

そしてある時、妻と過去の話をしていると
何とも言えない感情が湧き上がってきました。

私は8年間ずっと病気のことを恨んでいました。

顔も変わってしまったし、体質も変わってしまった
たくさん苦しんだし、悩まされた。

でも病気になって、たくさん悩んだからこそ
得られたことがありました。

それは

深く自分と向き合えた
人と出会い、変わるきっかけになった
本当の愛に触れることが出来た

病気の経験から得たものが
自分の大切な財産になっていることに気がついた時から

バセドウ病になったことを
心から感謝できるようになっていました。

29歳〜30歳:妻がガン宣告。命の危機、人生が一気に動き出す

それから1年が経った頃、同店舗で営業の空きが出て
念願の営業へジョブローテーションを果たしました。

そしてコロナ直撃!!
営業へ転身してからの半年間は研修もありましたが
思うような活動ができず。笑

しかし整備士より確実に営業職の方が向いていると
手応えを感じながら日々を過ごしていました。

引継ぎ客の質や店舗の環境はあまりいいものではなかったですが
1年間終わってみて営業同期の中では
トップの成績で終えることが出来たのも自信になりました。

その2ヶ月後
私たちの人生を大きく変える衝撃の出来事が起こる。

妻が子宮頸がん検診で引っかかり
再検査の通知を受けました。

初めてのことだったので
不安になりネットで調べてみると

再検査で実際にがんが見つかるのは
2万人に1人と書かれていました。

なんだビックリさせるなよ〜。

人口1万9000人の町に住んでいる私からすると
とてもイメージがしやすく
あり得ないと思ったのを鮮明に覚えています。

そして検査をして、2週間後。

再度、結果を聞きに病院に向かった私たちは
不安を押し殺すように明るく振る舞っていました。

病室に入り
先生から告げられたのはガン宣告でした・・・

子宮頸部線がんという種類で
普通の子宮頸がんより転移しやすく
予後が悪いと説明がありました。

嘘だろ。頭の中が真っ白に・・・
どんな顔をしているのか怖くて
妻の顔を見ることができませんでした。

しかし、隣から聞こえた声は
大丈夫!!何とかなるよ。私、運いいから!!

私を心配させないように強がっているようにも見えました・・・。
強がりでも明るく振る舞ってくれた妻に助けられたように思います。

その後、県外の名医がいる病院を紹介され
しっかり検査をした結果は

手遅れではないが、早期発見でもない

腫瘍のある場所と大きさを考慮すると
子宮と卵巣の全摘出手術をした方がいいと告げられました・・・

もし、どうしても子供を産みたい場合は子宮を残こす方法もある

ただ体に負担が大きいこと
転移の確率は上がること
必ず子供ができるわけではないこと

現実を突き付けられました。
選べない・・・。

何度も何度も2人で話し合って、涙を流しながら
妻の命を優先して子宮と卵巣を全摘出することを決めました。

当たり前にくると思っていた将来が
もう手に入らないと考えると胸が張り裂けそうでした。

手術は1ヶ月後に決定して
これからの仕事のこと
人生のことを話す機会が増えました。

そして私の不器用な頑張りをそばで見ていた妻には
強い思いがあることが分かりました。

夢を諦めないで欲しい
失敗しようが思いっきり生きて欲しい。
でした

明確なビジネスプランがあったわけでもないし
やっていける自信があったわけでもありませんが

このまま行動せずに終わることは
妻にも後悔をさせてしまうことになる・・・

この時、会社を辞めて起業する決意をしました
これが人生最大の変化を起こした瞬間です。

そして妻の手術は成功。
想定していたより腫瘍が小さく、子宮は摘出するが卵巣は取らずで済みました。
抗がん剤治療もなし。経過観察をすることに。

10日間の入院で退院して、2週間後には仕事復帰
元気に帰ってきてくれて、本当に良かった・・・

30歳〜現在:ついに始まった起業人生

上司と相談をして会社を退職する日が3ヶ月後に決まりました。
バタバタと起業の準備に取り掛かります。

起業すると決めたものの、知識もスキルもありません

妻が美容サロンをしていたので
どうせならこの環境を活用することを考えました。

私はその頃、脱毛を受けていて
当時は近くにメンズを受け入れてくれる脱毛サロンがなく
県外まで出ており、遠くてしんどいなーと思っていました

これもしかして近くにあれば人来るよね
自分も行かなくて良くなるし

こんなノリで脱毛を新しくサロンで導入することになりました。
いま考えると本当に無知って怖いですよね。笑

そしてオープン1ヶ月前に
Instagramのアカウントと公式LINEを開設して
運用が始まりました。

こんな田舎でメンズ脱毛というのが珍しかったらしく
オープン前から口コミが回り、どんどんご予約が入っていって
思っていたより、いい感じのスタートを切ることが出来きました。

すぐに軌道に乗っていって
そこからスタッフも増え、メニューも増え
売上は3年間右肩上がりに伸びていきました。

そして早いもので今年で4年目になります。

病という大きな山場を乗り越え、妻の体調も安定してしています。
お互い自分の人生に悔いを残さないように生きたいねって話をしています。

最後に

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

私の人生を作ってきた出来事を
その時の心情を交えて書かせていただきました。
この自己紹介で伝えたかったことは

・自分の人生を生きることの大切さ
・自分や家族と向き合うことの重要性
・思うだけではだめ、小さな行動を起こすこと
・大きな決断にはステップが必要

この4点です。

このブログサイトに辿り着いて下さった方は
現状に変化を求めている方が多いのではないかと思います。

本当に何にもない私でも
小さな変化を意識して動けば
こんな風に人生を変えていけているということです。

そして私はこの1年間、さらに変化させます。

それは冒頭に書かせていただいた
webマーケティングを1年間学んで、サロン以外で在宅月30万円の安定収入を作ること
そして地方移住の選択肢を手にいれること

この目標を持つことでウェブマーケティングを本業に活かすことも出来ます。
そしてなにより豊かに、愛のある生活ができると確信しています。

このブログサイトを通して
見てくださった方の人生の扉が開き
動き出す一歩目になれば嬉しいです。